「歳の離れたともだち」

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今日は、友人の占い師響子先生と根津美術館に行きました。

例会になっている根津美術館は、小雨で寒かったせいか、
いつも混んでるカフェも珍しく空いてました。

ガラス窓越しにある庭園が
息づく絵画。
私は、文化学院の頃から、此処が好き。
昔(建て替える前)は怖かった。
もののけが沢山いて。

今日は、表千家「川上不白生誕三百年」。
茶人である者同士、書のやり取り。
京と江戸を繋げる門人との書簡。
掛け軸の洒落、薄墨の輪郭の無い花や鹿。
何時までも 見ていたくなるような高麗茶碗。
私にとってはお布団敷いて泊まりたくなるような美術館です。

18歳の頃、
青山の骨董屋のご主人と友達になりました。
文化学院に通っていることを話すと、
「それはめずらしい。あそこはお嬢さんの風天の学校だからね。」と言われ
ました。

ここも時々着物の卒業生のおばあさまが通るよ、と。
骨董通りから少し脇に入ってすぐの一室で
ユニークな骨董屋をされてました。

ものの見方・考え方に私たちは同じものがあり、
18歳と70歳の仲良し友達でした。

一緒に青山を散歩しながら
同じ我楽多を見つけたり、人生について話したり、
ことに人の品格については
いつも私たちは意見が同じでした。

少ないお小遣いの中から
選んだものを
そのご主人は、いつもたいそう褒めてくれました。

歳が違っても
本当に話が合いました。

仕事、結婚、子育てとバタバタと30年過ぎて
界隈の骨董屋に寄った時、
そのご主人の話になりました。

とっくに亡くなられてましたが、
そのユニークな生き方と審美眼は、語り継がれていました。
もう、そんな方はいないのでしょう。

出は、房総の大きな網元の息子さんでした。
とっくに生まれかわって
世界の何処かで、気に入ったものを探しているでしょう。

そんなことも懐かしい青山です。
もう一度 不白に来よう。

響子さんの母方のお祖母様はお裏の先生だったそう。
根津美術館と同じくらい
東京の晩秋も好き。

冬になる直前の11月でした。

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